尼崎の南部は、平安時代の東大寺文書に「在家殆乃千家」とあるように、早くから日本で屈指の古い「都市」となっていました。

その後、京の都と外洋を結ぶ港町として発展し、江戸時代には大阪の西を固める支城として、城内の総面積13万平方メートルもの広さに四層の天守閣を持つ城が築かれました。

当時は海岸線が城のすぐ近くまで迫っていましたので、海上から眺めると水上に浮かんでいるように見え、「浮城」或いは、琴を横から見たような形から「琴浦城」とも呼ばれる美しい城でした。

この尼崎城も明治6年(1873年)の廃城令で跡形もなく消え去ってしまいましたが、400年前さながらに城下町の面影を伝える「寺町」が残っています。

寺院は11ヶ寺を数え、国や県が指定する重要文化財も集中しており、
尼崎の歴史を現在に伝える町並みを感じられます。

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